梨改め京成直通初の更新車8816編成

新京成と料理レシピと架空鉄道設立準備と

ペインターで描いた鉄道車両イラスト~経済性追求形車両

前の記事で昭和30年代初頭登場の高性能車初陣を想定した車両のイラストをご紹介いたしましたが、今回は利用客が急増して車両が大量に必要となり高性能車の初陣として登場した車両の設計を基本に経済性や効率性を追求した仕様になったという想定の車両のイラストをご紹介いたします。

 

 

 

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先にご紹介したイラストの通勤車に比べ、側面客ドアを両開き式へ変更して乗客の乗降時間の短縮を図ったほかドア間隔を比較的均等にして整列乗車時の混乱を避けられる配慮をしたり、足回り機器は製造コストを抑える目的(高価なM(モーター付き)車のみを増備するよりも低価格なT(制御、付随といったモーターなし)車を併用したほうが車両増備にかかるコストが低減できる)でMT編成(1つの編成をM(モーター付き)車とT(制御、付随といったモーターなし)車の併用で構成)としたために先頭車はT車らしくブレーキ制御装置あたりの機器がよく目立つような感じに床下ぎ装をあっさりとさせてみました。このイラストの車両の車種構成は「Tc+M+M’+T’c」という最小限の車種で組める基本の4両編成を想定しています。

 

昭和30年代中盤は高度経済成長期の始まり頃なので、まだ利用客はそれほど多くはなく上のイラストのような片側3扉でも間に合いますが、これが30年代後半以降になってくると利用客はうなぎ上りで増加して片側3扉の車両では対応できなくなり片側4扉の車両を新たに登場させていたこともよくありました。下にご紹介するイラストは都市部での混雑度が高くなり片側3扉車では対応が困難になってきたために片側4扉化した車両です。下回り機器については従来の片側3扉車と共通としてあります。

 

 

 

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国鉄では車体が大形だったためか戦争中に登場したモハ63系(通称「ロクサン」系)で早くも片側4扉化が行われましたが、私鉄では戦争中の国鉄からのロクサン系の割り当て車によって片側4扉車の運用を経験したところから始まり、その後、その私鉄の輸送実態からそのまま片側4扉車が正式採用されたところもあれば、そもそも私鉄は国鉄と異なり車両規格が中小形なために地上設備の改良を行って大形車が使えるようになってから片側4扉車を導入したところなど様々です。