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【似て非なる扱い】JR東日本107系と京成電鉄3400形

鉄道車両は車両メーカーで車体から床下機器まですべて新品を使った完全新造される車両以外にも、車体こそ新造されたのもでも下回り機器については廃車になった車両のものを再利用(流用)しているケースがあります。こういった車両は大きく分けて「機器流用車」、「車体更新車」と呼ばれています。この記事のタイトルにあるJR東日本107系と京成電鉄3400形はともに「新しく作った車体に廃車になった機器類を再利用して取り付けて登場した車両」という点で共通点はあります。しかし、両者の分類は異なります。

 

まずはJR107系のほうからお話ししてまいります。

 

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JR107系全景

 

 

 

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この車両が完全新造車ではなく廃車になった機器を再利用している証拠の一つ国鉄165系に使われていた台車

 

 

 

JR東日本の107系はS63年当時、急行形車両である165系をローカル転用して運用していた群馬県内の高崎地区のローカル線(上越線吾妻線両毛線、横川以東の信越本線)や栃木県内を走っている日光線での車両運用の効率化と輸送力の適正化を図る目的で片側3扉で完全ロングシートという後年の東北地方に登場する701系などの車両設計へもその考え方に影響を与えていた車両で、車両用途の分類上では115系も走っている線区で使われる上、トイレもあることから「近郊形」として分類してもよかったところですが(実際、日光線向けとして登場した0番台全車と高崎地区向けとして登場した100番台のうち初期の6本は将来の室内のセミクロスシート化を考慮した211系に準じたドア間2枚窓、戸袋窓ありという窓割になっていたものの、実際には107系のセミクロスシートバージョンが登場することはなかった)、JR東日本はこの107系を「通勤形」として分類したところが面白いところです。

 

そして、この107系の最大の特徴は国鉄時代にローカル線区向けに完全新造された105系0番台(片側3扉のほう)に近いイメージの車体形状でしたが、105系0番台と異なるのは下回り機器は107系が投入される線区で従来活躍していた165系の廃車発生品を流用していることです。一見して107系はこのことから「急行形165系を導入地域の実態に合わせた通勤形車両へ生まれ変わらせた」車両とも取れるところですが、JR東日本によると107系は「新車」として登場させていることです。「新車」というところが廃車発生品を107系新造へ提供していた165系時代の車籍は受け継いでいないことになるわけで、車籍的に165系とは関係はない、廃車発生品の機器類を流用しているのみになる扱いのことを「機器流用車」と呼ばれているのです。

 

なお、107系を登場させたJR東日本の前身である国鉄では新性能事業用車に101系を改造して登場させたことにしていたクモヤ145や旧形国電の代表車両であったモハ72系を103系ATC車と同等の車体(ただし非冷房)へ載せ替えたモハ72系970番台、身延線へもモハ72系転用名義でこちらもまた非冷房なのは言うまでもないけども当時、115系で増備されていたグループであった115系300番台と同等の車体へ載せ替えたモハ62系とかは後述する「車体更新車」として登場させていました。新性能事業用系列の145系、モハ72系970番台、そしてモハ62系は車体を新しいものへ載せ替えた後も種車時代の車籍をが残ってました。このうち、モハ72系970番台についてはS60年度、埼京線開業とセットで電化された川越線区間運転列車用として新性能化改造(一部の車両は青梅・五日市線の103系編成の増結に使う車両として改造されたが、八高線高麗川電化開業に先立ちサハ103-3000番台も川越線へ転属し同線の区間運転列車は4両編成化された)が施され車体の形状通り103系の一員に加われることができ、H8年3月の八高線高麗川電化開業によって八王子までその活躍の場を広げることができました。

 

 

次に京成3400形についてのお話となります。

 

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京成3400形

完全新造、VVVFインバーター制御を採用した3700形とは車体が普通鋼製であることのほかにも、屋根上の冷房装置、床下機器に相違点が見られます。特に前から2両目の車両の床下にはよく目につく主抵抗器も。

 

 

3400形の登場はH5年度でこの時期、京成電鉄の有料特急であるスカイライナー用の車両を初代AE形から当時の新形モデルであったAE100形への置き換えが完了し、従来の初代AE形はお役御免となりそのまま廃車になってしまうところでしたが、時おりしも当時の京成電鉄では都営浅草線を通り越して京急線まで直通可能な車両(この当時主力であった赤電系列では京急サイドで性能面で限界がある上、室内サービス設備上でも見劣りがしてきたこと、さらにはこの当時、入線可能編成が6両編成に制限されていた直通先の京急空港線へ8両編成が入線可能になれば極力京急空港線直通列車を当時の新形車両による運用にしたいことから極力京急直通対応の新車を揃えたかった)の増備に必死でそれには完全新造車であるVVVFインバーター制御を通勤形車両では初採用した3700形の増備のみで進めていくよりは「ちょっと妙なことをやって」京急直通対応編成の本数増強を図ろうと京成電鉄は考えます。

 

その「妙なこと」に使われるのがこの時、スカイライナーを引退し、保留車となっていた初代AE形で、これを何と通勤車両へ変身させる改造をして新形式車両を登場させることにしたわけです。初代AE形であれば「元々が有料特急用の車両であり高速運転は得意だから京急直通時の高速性能もそのまま生かせる」ということで元々あった有料特急用車両の車体を取り壊し、新たに3700形を普通鋼製で製造したような感じの車体を冷房装置と下回り機器のみが残った旧初代AE形の台枠に載せて京急直通対応可能な通勤車両に仕立て上げたのです。当然ながら有料特急車時代は編成の両端はモーターの付いていないクハでしたが、京急直通対応編成では編成両端の車両はモーターが付いてるクモハであることが京急サイドから厳しく言われているので初代AE形⇒3400形化改造時に先頭車のクモハ化も行われています。

 

そして、こちらでの扱いは先のJR東日本107系とは異なり「機器類を流用しているだけではなく改造時に種車の車籍を受け継いでいる」ことから「車体更新車」ということになります。京成3400形の場合、先述しているように改造時に車籍を初代AE形から受け継いでいると書きましたが、編成両端のクモハ化については初代AE形時代は編成両端に位置していたクハを編成中3号車と6号車へ連結されるサハへ形式変更することによって対応しています。

 

 

 

要約すれば

 

A・新しく作った車体に廃車になった機器類を取り付けたのみで新車扱いで登場した車両=機器流用車

 

B・Aの要領で車両を作り、種車時代の車籍を受け継いでいる車両=車体更新車

 

ということになります。

 

いずれにせよ利用客からすれば新車並みの車体になった車両に対して「これが古い車両に使われてた部品を再利用してる」とか「古い車両を改造して登場した車両である」ようなことはどうのこうのよりも、こういった証拠はその鉄道会社に厳重保管されてる当該車両の書類の上でのことでしかなく、鉄道会社の部外者にはこういった書類を閲覧できる機会は一切なくどうしても愛好家らの研究に頼ってしまうところです?

 

ネットが今や当たり前となった今ではwikipedia記事とかで「これが機器流用車」か「車体更新車」かを知ることは比較的容易にはなってきてますがそれでもwikipedia記事も100%正しいことを書いてあるとは限らず記事の内容も100%信じるわけにもいかないところはやはりまだ愛好家らの研究の必要性が残されてることになります?