梨改め京成直通初の更新車8816編成

新京成と料理レシピと架空鉄道設立準備と

私自身40歳になりましたが私の親たちが40歳になった頃は?

昨日、とうとう私は「迎えたくない」40歳になりアラフォー世代デビューとなりましたが、私の両親がちょうど40歳になったころも書いてみたいかと思います。

 

父(S22年生まれ)

1987(S62)年に40歳になりました。

S62年といえば国鉄が分割民営化されJRになったことが大きな話題でした。まだ、東京でもJRの通勤電車は普通鋼製車体の車両がカラフルに走り回っていて見ていて楽しかったものでした。特に神田では3色の通勤電車が行き交う姿は見ていてとてもよかったですね?山手線の車両はその当時すでにウグイス色の103系からステンレス車体にウグイス色の帯を巻いた205系への入れ替えが進められJRになった頃、約半分近くの山手線は当時の新形車両であった205系になっていました。一方、新京成では今に至るまで1両たりとも廃車を出すことなく好評活躍中な、当時「1,500V電圧の鉄道路線向け」としては初のVVVFインバーター制御車となった8800形の増備が盛んに行われていました。

さらに言うと、私がちょうど小学校に上がった年でもありました。この当時、私は世田谷区にある小児科病院へ親と通院していて山手線から病院の前まで行くバスに乗り換える渋谷で営団地下鉄(当時の。現:東京メトロ)銀座線が地上に上がってくるのが見えるのですが、「なぜ銀座線には山手線とかにはあるはずの電車の上にある『架線』がないのか?」が疑問に思えてきました。

 

母(S25年生まれ)

1990(H2)年に40歳になりました。

H2年といえば大阪の鶴見緑地で花と緑の博覧会が開催された年でした。首都圏ではこの年の春、相次いで鉄道路線の延伸開業が行われました。新京成で8800形の増備と引き換えに引退していく旧形車両の完全引退もこの年の夏でしたね?確か?

 

そして私自身(S55年生まれ)

2020(R2)年40歳に。

この年は世界的にも大騒ぎになった事件がありました。そう、コロナの世界的な感染拡大です。そのために世の中「自粛ムード」が強まっています。この頃になってくると父が40歳を迎えた当時に盛んに増備が行われていた205系も老朽化してきていることを理由に転属先も含めたあらゆる線区でその後の新形車両の投入によって淘汰が進み(JR東日本での引退後、多くの車両がインドネシアへ譲渡された)、205系もまた線区によっては「なかなか捕まらない車両」となってしまっています?

新京成の代表車両である8800形にも初登場してから早34年が経過し、一番新しい増備編成でさえH3年製ですからこれもまもなく製造されてから30年になろうとしているところで、すでに登場当初のVVVFインバーターサウンドを楽しめる車両は後年行われたソフトの更新によって1両もありません。また、編成も今では8両編成で登場したものがすべて6両編成への組み換えが完了し、一部の編成では室内アコモのリニューアルを柱にした更新工事を受け、新車並みに蘇っているいる車両もいるほどです。