梨改め京成直通初の更新車8816編成

新京成と料理レシピと架空鉄道設立準備と

初の相互直通運転開始からこの12月で60周年

世界的にみれば日本のお隣の国である韓国のソウル地下鉄を除けばほとんど普及していないのですが、日本では半ば定着している他社線との相互直通運転。その相互直通運転の元祖はS35年12月に開業した都営浅草線(開業当初~S53年までは都営1号線)と京成電鉄の間で実施されたのが第1号区間相互直通運転区間は京成東中山~都営浅草橋間でした。この当時は、京成、都営ともに車両は8両編成化が完了した今では信じられないかもしれませんがたったの2両編成で運転されていました。その後の都営線側での路線延伸や編成の長さを延ばした際に4~6両編成による列車も登場しますが、8両編成は都営車に限りますが時代が平成になるまで登場しませんでした。S43年6月には待望の京急電鉄(当時は京浜急行電鉄)とも線路が結ばれ晴れて千葉~東京~神奈川の1都2県間のJR(当時の国鉄)にはよらない私鉄による大動脈が形成されたのです。そんな開業当時は画期的な運転方法だった相互直通運転も開始から早60周年を迎え、京成電鉄と都営浅草線では60周年記念の記念乗車券を発売しています。

 

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相互直通運転60周年記念乗車券発売告知のポスター

台紙の表紙には京成発売分は3100形、都営発売分は5500形の真正面から撮影した写真があしらわれてます。それにしても「都営浅草線⇔京成線」の文字が京成書体(?)なのが面白いところですね?ww

 

そのついでに「意外と知られていない事実」的なお話ですが、都営浅草線の最初の区間が開業し、同時に京成線と相互直通運転を開始したS35年当時、東京都内の地下鉄路線はすでに帝都高速度交通営団営団地下鉄(現:東京メトロ)によって開業していた銀座線(銀座線については戦前の昭和初期に東京地下鉄道東京高速鉄道の2社によって建設され、それが戦時体制に突入する前に2社を合併する形で帝都高速度交通営団が設立された)と丸ノ内線(開業当初、荻窪線と称していた新宿以西の区間はS35年当時まだ全線未開業だった)の2路線のみで「東京で3番目の地下鉄路線」こそが実は都営浅草線だったのです。よく「東京で3番目の地下鉄は東京メトロ日比谷線」だと思われがちですが、日比谷線は最初の区間(南千住~仲御徒町間)の開業がS36年と都営浅草線よりもやや遅く(逆に全線開通は日比谷線のほうが先行してしまうのですが)「東京では4番目に開業した地下鉄」ということになります。確かに営団地下鉄の路線として開業したものに限れば日比谷線もまた「東京全体ではないけども営団の路線としては3番目の地下鉄」とはなりますが、都営地下鉄も含めてしまうと「東京で3番目の地下鉄」は都心部でのルートが類似している都営浅草線で、日比谷線は「東京で3番目」という称号は受け取り損ねた形になるのです。また、日比谷線での相互直通運転は最初の区間が開業した時点ではまだ実施されてなくS37年の北千住延伸で東武線と線路がつながってから初めて相互直通運転を北春日部~霞が関間で実施(全線開業時~H25年の間は中目黒側でも東急東横線とも相互直通運転が実施されていたが副都心線東横線とが相互直通開始する引き換えで東横線日比谷線相互直通運転は廃止)されていますので、日比谷線は東京の地下鉄では2番目に相互直通運転を実施した路線ということになります。